2017年6月20日火曜日

三回忌

大関貴ノ浪の三回忌でした。
部屋の引っ越しの時に送ってもらったというアルバムを
奥様に見せてもらいました。

とても若くて細い頃の写真もありました。カッコイイ。


2017年5月22日月曜日

センス、オブ、ワンダー。

月に一度の農業体験が楽しみ。

生まれて初めて茶摘みをしました。良い香り。

空の下で美味しいごはん。畑の野菜。かまどのごはん。

新茶のように爽やかな先生がお茶の煎れ方を教えてくれました。

こどもたちは思う存分遊びます。

自然に囲まれて帰って来ると
つまらない景色だと思っていた都会で
けなげにたくましく生きている植物たちが
急にキラキラして見えてくる。不思議。

2017年3月13日月曜日

おべんとう

毎朝お弁当を作れるかが不安で入園するのを迷った幼稚園だったのだけど
三年間、毎日毎日、私が作ったごはんがこの子の身体の大半を作ってきたのだと
振り返ってじーんとしてる。

お兄ちゃんが高校生の時は大きいのと小さいのと大変だったけど
朝の仕事を済ませる小さな喜びから始まる毎日だった。

誰かが「お弁当は毎日作る方が楽」と言っていたけどあれは本当。
おかげで早起き人間になれたし、主婦業のスキルは上がったし、
この幼稚園に決めて本当に良かった。
園長先生の「キャラ弁は禁止です。」にもシビレた。

こんなの、泣いちゃうね。

2017年2月27日月曜日

ながいながい骨の旅

息子6歳「ながいながい骨の旅」という絵本にハマる。


http://bookclub.kodansha.co.jp/buy?isbn=9784062194754

最初に表紙の子どもとお母さんが
レントゲンみたいに骨で描かれている絵を指差して
「お母さんとレンちゃん」
と言うと「えー!」と言った。

それからページをパラパラめくって
「おなかの中に居た時のレンちゃん」というと
「わー!」と言った。

「読む?」と聞くと「読んで!」と言った。

地球がまだマグマに覆われていた時から始まって
生き物が現われて進化していく。

私たちの骨はどうして出来たんだろう。生命と私たちの成り立ちを知る骨の旅。

川上和生さんの美しい絵の世界。松田素子さんの丁寧で芯の有る言葉。

…でもまだ難しいかなあ、と思いながら読み始めると
6歳はトイレに行くのも我慢するほど夢中で話を聞いて絵を見ているのだった。

「頭の骨の中にあるのはノウミソでしょ」「ここに肺があるんだよね」
「骨の中で血が作られるって、知ってるよ」とか豆博士のような事を言ったり
ついでに「お兄ちゃんの友達がセッケッキュー!ハッケッキュー!って踊ってたね!」
とか色んな事を言う。

そうして読み進めていくうちに
「私たちは体の中に海を入れて持ち運んでいる」という所に至った時
「いつも体の中に海持って歩いてるんだ!」と言った時の
ぱあっと喜んだ顔は見事だった。

そして息子のお気に入りの絵本に。
今朝も一人で読んでいた。絵だけ見ていたのかもしれないけど
じいっと読んでいた。

「何度も何度も開いて読みたくなる
宝物のような絵本があります。」

編集者でもある著者の松田素子さんが言っていた言葉。

「絵本は高いと思うかもしれないけれど
たとえば1600円の本を10回読んだら1回160円ですよ。
高いですか?」

私が絵本を買う時、絵本について考える時
これからきっと、死ぬまで忘れない言葉。


こちらもおススメ 
「クワムボンは笑ったよ」…自分もカニになって水の中をたゆたうことができる
宮沢賢治の絵本「やまなし」
絵 川上和生
http://www.ehonnavi.net/ehon/22928/宮沢賢治の絵本やまなし/





2016年11月12日土曜日

隣のおばちゃん


子供の頃マンションの隣の部屋のおばちゃん家族によく面倒を見てもらっていた。
他人なのに親戚のおばちゃんみたいだった。

毎週金曜日はおばちゃんとおじちゃんと一緒に
家で観られない「太陽にほえろ!」を観るのを楽しみにしていた。

夏はおばちゃんちの戸が風を通すために開けてあるとすぐに遊びに行ってた。
お菓子を食べさせてくれたりテレビを見たりした。

ワイドショーの神霊写真コーナーが怖かった事と
「独占!女の60分」に出て来る女の人たちが苦手、と思ったことを覚えている。

おばちゃんはスーパー主婦で
家はいつもきちんと整頓されて無駄がなく気持ち良かった。


おばちゃんちの次女のお姉ちゃんは若い時から達観していて頭のいい面白い人で
子どもを子ども扱いせずにいつも自然体だった。

お姉ちゃんは私たちが遊びに行く時間にはあまり家に居なかったけれど
留守の時も部屋はいつもキレイで雑誌に出て来るみたいにお洒落だった。

小学生の私と兄は両親が仕事に行っている留守中
家を散らかし放題散らかしていたので
別世界みたいなお姉ちゃんの部屋に憧れていた。
80年代だった。



おばちゃんたち夫婦はもうマンションに住んでいないので
今は年賀状のやりとりになってしまったけれど
去年送ってくれたおばちゃんの作った干し柿はものすごく美味しかった。

今までずっと
おばちゃんは世話好きで、子ども好きだから
趣味で隣の私たち兄弟の面倒を見てくれているんだ、と
認識してきたのだけど

つい最近、ふと気が付いた。

おばちゃんが自分の時間を私たちのために使ってくれていた事と
鍵っ子の私たちを不憫にも思って
子育てを手伝ってくれていたんだ、という事に。

その事に何十年も気が付かないくらいさりげなく。

2016年6月28日火曜日

復興支援!市馬・文治二人会のチラシです!


チラシ作らせていただきました!
お二人で出身地の「大分」のポーズです。
満席になって欲しい!というお席亭の心意気の四色カラーです!

文治師匠は高座では黒紋付なのですが
カラーチラシの中では思い切って(?)
かしわもちのはっぱみたいな羽織りを着てもらいました!

ぴあでは7月2日から発売です!行こう行こう!!

2016年6月19日日曜日

ありがとう



友達の一周忌法要へ。
元大関貴ノ浪の音羽山親方のこと。

何か想い出を書こうと思いながら一年経ってしまった。

友達なんて失礼だけれども
16歳のときからずっと友達だった。

お相撲さんのマゲや着物や雪駄の音やびんつけ油が好きで
お相撲さんのおっかけになり
あちこちに潜入していた。

友達と二人で学校に行く前に朝稽古を見ていたら大雨が降ってきて
困っていたら部屋のでっかい傘を貸してくれた。

お相撲さんたちが花火で遊んでいるのに混ぜてもらったり
歳があまり変わらなかったので
漫画家になりたいヘンな友達として認定してもらった。
親戚のにいちゃんみたいな感じだった。

「浪岡くん」とか「浪ちゃん」と呼んでいた。
「浪ちゃん、じゃねえだろオマエは」
と付け人だった元力士の石田くんには生意気すぎるといつも叱られた。
でも浪岡くんは世間知らずな私を面白がっていつもゲラゲラ笑っていた。


コピー用紙やひどい点数のテストの裏にネタを書いて送っては
面白い、面白く無い、と採点してもらっていた

その頃からずっと付き合っていた奥さんの陽子さんに一途で
ネタの採点はだいたい陽子さんからの電話待ちの暇つぶしにおこなわれたので
キャッチで陽子さんから電話が入ると「彼女だ!じゃあな!」
とものすごい早さで電話を切られた


石田くんは彼の事を
「男だったらああゆう人になりたいというような人だった」
と言った。

漫画家になりたいと言っていた私に
身近な所で配るTシャツを作らせてくれたことがあった。
真剣に劇画風の強そうなお相撲さんの絵を描いたら
「そうじゃないだろう」と言われたので
思いっきり力を抜いたダラダラの絵を提出したらとても喜んでくれた。

しかし私がTシャツの生地を間違えて頼んでしまい
肌着みたいな本当にダラダラのシャツが出来上がってしまった

後から考えると本当はものすごく怒られるはずの失敗だったけど
そこが人間の大きい所で
すっかり出来上がってしまったあとに
「おまえなーあの生地ダメだ」と一言言われただけだった

最後はぞうきんみたいになってしまっていつの間にか紛失してしまった
石田くんも陽子さんもどこかに行ってしまったと言っていた
そうゆうTシャツだった
今でも誰か持ってるだろうか
ダラダラTシャツ


浪岡くんの知り合いが作ったホームページが出来た時
すぐに漫画を描かせてくれた
(オレはインターネットは向いてない、と暫くすると無くなった)

化粧回しのデザインもしていいと言ってくれたのに
自分の力量では何を描けばいいのかわからなすぎて出来なかった

最後に頼まれた事に応えられなかった事と
浪岡くんの人生を思うと
「もっと頑張れるだろう」という声が聞こえて来る。


毎年、名古屋場所になれば会えると思ってた。
名古屋に家がある同士だし
そのうちゆっくり家族でご飯食べたりできる、くらいに思っていた。

友達が亡くなるというのは
自分の人生の一部が無くなるような感覚だった。


いつも豪快で言葉が強いから
10代、20代の頃は何か言われると涙目で反論してたこともあったのに
笑顔と大きな笑い声と「優しい」という印象ばかり残る人だった。


10年前、引退した翌年に意識不明になった時の話を
死にかけたってすごく面白い話のように豪快に話していた。
貴乃花親方が自分の為に一生懸命にしてくれたことや
みんなが心配していたことが全部明るく楽しく語られた。

シャレにならないような辛い話も
強引にシャレにして笑い飛ばす強い人だった。
繊細なところや飄々としたところ、芯を通すところ
沢山の魅力がある人だった。

突然の訃報、葬儀
もう会えないというのが悔しくてたまらなかった。
大きな遺体を前に誰かが泣きながら
「浪ちゃん、早いよ」と言った。


その後、奥さんの陽子さんと娘ちゃん(お父さんそっくり)と
とても仲良くさせてもらって
去年の冬は一緒に石田くんの実家に泊まった。

石田くんのお母さんの作ってくれたご馳走を囲んで
みんなで娘ちゃんのポラロイドカメラで写真を撮った時
不思議な事があった。

一緒にご飯を食べていた石田くんの友人男性の顔が
その人の顔とは全く違う顔に、それも浪岡くんそっくりの笑顔で写っていた。

恐がりの石田くんは違う違う!と言っていたけど
娘ちゃんと私は嬉しくて「パパ来てるね」と言いあった。


陽子さんは「オバケでもいいから会いたい。夢にも出て来てくれない」と言っていた。
身内の夢にはなかなか出て来ないと聞いた事がある。
目が覚めた時にそっちに行きたくなるといけないから、
本当に悲しみが癒えるまでは出て来ないと。

だから私の夢には出て来たのかもしれない。
こんな夢だった。

目の前に掲示板のようなものがあった。
そこに娘ちゃんの産まれたときの事が書かれた新聞記事のような紙と
陽子さんと浪岡くんの結婚式のケーキ入刀写真が貼ってあった。

通りを挟んだ向こうに塀があって浪岡くんの肩から上が見えていた。
何も言わず黒の紋付羽織りでこっちを見て笑っていた。
髪は現役時代の大銀杏だった。
私は夢の中だけど、浪岡くんはもう生きていない事がわかっていた。

目が覚めてすぐに
夢に出た!と陽子さんにメールした。

あれはきっと
自分の人生の宝物は、お相撲さんになったことと
奥さんと結婚したこと、子どもが生まれたことだと
陽子さんに伝えて欲しいって夢だ。

メールをしている間に
夢の意味がはっきりしてくるようで
涙が出た。
長男と。
次男と。

















優しかった。