2016年6月28日火曜日

復興支援!市馬・文治二人会のチラシです!


チラシ作らせていただきました!
お二人で出身地の「大分」のポーズです。
満席になって欲しい!というお席亭の心意気の四色カラーです!

文治師匠は高座では黒紋付なのですが
カラーチラシの中では思い切って(?)
かしわもちのはっぱみたいな羽織りを着てもらいました!

ぴあでは7月2日から発売です!行こう行こう!!

2016年6月19日日曜日

ありがとう



友達の一周忌法要へ。
元大関貴ノ浪の音羽山親方のこと。

何か想い出を書こうと思いながら一年経ってしまった。

友達なんて失礼だけれども
16歳のときからずっと友達だった。

お相撲さんのマゲや着物や雪駄の音やびんつけ油が好きで
お相撲さんのおっかけになり
あちこちに潜入していた。

友達と二人で学校に行く前に朝稽古を見ていたら大雨が降ってきて
困っていたら部屋のでっかい傘を貸してくれた。

お相撲さんたちが花火で遊んでいるのに混ぜてもらったり
歳があまり変わらなかったので
漫画家になりたいヘンな友達として認定してもらった。
親戚のにいちゃんみたいな感じだった。

「浪岡くん」とか「浪ちゃん」と呼んでいた。
「浪ちゃん、じゃねえだろオマエは」
と付け人だった元力士の石田くんには生意気すぎるといつも叱られた。
でも浪岡くんは世間知らずな私を面白がっていつもゲラゲラ笑っていた。


コピー用紙やひどい点数のテストの裏にネタを書いて送っては
面白い、面白く無い、と採点してもらっていた

その頃からずっと付き合っていた奥さんの陽子さんに一途で
ネタの採点はだいたい陽子さんからの電話待ちの暇つぶしにおこなわれたので
キャッチで陽子さんから電話が入ると「彼女だ!じゃあな!」
とものすごい早さで電話を切られた


石田くんは彼の事を
「男だったらああゆう人になりたいというような人だった」
と言った。

漫画家になりたいと言っていた私に
身近な所で配るTシャツを作らせてくれたことがあった。
真剣に劇画風の強そうなお相撲さんの絵を描いたら
「そうじゃないだろう」と言われたので
思いっきり力を抜いたダラダラの絵を提出したらとても喜んでくれた。

しかし私がTシャツの生地を間違えて頼んでしまい
肌着みたいな本当にダラダラのシャツが出来上がってしまった

後から考えると本当はものすごく怒られるはずの失敗だったけど
そこが人間の大きい所で
すっかり出来上がってしまったあとに
「おまえなーあの生地ダメだ」と一言言われただけだった

最後はぞうきんみたいになってしまっていつの間にか紛失してしまった
石田くんも陽子さんもどこかに行ってしまったと言っていた
そうゆうTシャツだった
今でも誰か持ってるだろうか
ダラダラTシャツ


浪岡くんの知り合いが作ったホームページが出来た時
すぐに漫画を描かせてくれた
(オレはインターネットは向いてない、と暫くすると無くなった)

化粧回しのデザインもしていいと言ってくれたのに
自分の力量では何を描けばいいのかわからなすぎて出来なかった

最後に頼まれた事に応えられなかった事と
浪岡くんの人生を思うと
「もっと頑張れるだろう」という声が聞こえて来る。


毎年、名古屋場所になれば会えると思ってた。
名古屋に家がある同士だし
そのうちゆっくり家族でご飯食べたりできる、くらいに思っていた。

友達が亡くなるというのは
自分の人生の一部が無くなるような感覚だった。


いつも豪快で言葉が強いから
10代、20代の頃は何か言われると涙目で反論してたこともあったのに
笑顔と大きな笑い声と「優しい」という印象ばかり残る人だった。


10年前、引退した翌年に意識不明になった時の話を
死にかけたってすごく面白い話のように豪快に話していた。
貴乃花親方が自分の為に一生懸命にしてくれたことや
みんなが心配していたことが全部明るく楽しく語られた。

シャレにならないような辛い話も
強引にシャレにして笑い飛ばす強い人だった。
繊細なところや飄々としたところ、芯を通すところ
沢山の魅力がある人だった。

突然の訃報、葬儀
もう会えないというのが悔しくてたまらなかった。
大きな遺体を前に誰かが泣きながら
「浪ちゃん、早いよ」と言った。


その後、奥さんの陽子さんと娘ちゃん(お父さんそっくり)と
とても仲良くさせてもらって
去年の冬は一緒に石田くんの実家に泊まった。

石田くんのお母さんの作ってくれたご馳走を囲んで
みんなで娘ちゃんのポラロイドカメラで写真を撮った時
不思議な事があった。

一緒にご飯を食べていた石田くんの友人男性の顔が
その人の顔とは全く違う顔に、それも浪岡くんそっくりの笑顔で写っていた。

恐がりの石田くんは違う違う!と言っていたけど
娘ちゃんと私は嬉しくて「パパ来てるね」と言いあった。


陽子さんは「オバケでもいいから会いたい。夢にも出て来てくれない」と言っていた。
身内の夢にはなかなか出て来ないと聞いた事がある。
目が覚めた時にそっちに行きたくなるといけないから、
本当に悲しみが癒えるまでは出て来ないと。

だから私の夢には出て来たのかもしれない。
こんな夢だった。

目の前に掲示板のようなものがあった。
そこに娘ちゃんの産まれたときの事が書かれた新聞記事のような紙と
陽子さんと浪岡くんの結婚式のケーキ入刀写真が貼ってあった。

通りを挟んだ向こうに塀があって浪岡くんの肩から上が見えていた。
何も言わず黒の紋付羽織りでこっちを見て笑っていた。
髪は現役時代の大銀杏だった。
私は夢の中だけど、浪岡くんはもう生きていない事がわかっていた。

目が覚めてすぐに
夢に出た!と陽子さんにメールした。

あれはきっと
自分の人生の宝物は、お相撲さんになったことと
奥さんと結婚したこと、子どもが生まれたことだと
陽子さんに伝えて欲しいって夢だ。

メールをしている間に
夢の意味がはっきりしてくるようで
涙が出た。
長男と。
次男と。

















優しかった。